#27 筑波山「演劇『作品の袖』」

#27 筑波山「演劇『作品の袖』」

昔は間違うことが嫌いでした。自分が学力も低く、あまのじゃくで、間違いばかりしていた裏返しだったかもしれません。でもここにきて思うのは、無駄をどれだけ楽しめるかが豊かさの象徴だと感じています。

この映像だって無駄です。観光の情報が欲しいなら優秀なチャンネルが沢山あるでしょう。「ユニバーサルお出かけアプリ」という出先のプランをAIとビックデータが組み合わせてくれるものも実験されているそうです。これで完璧な旅ができます。そう言ったものは障害者の方には心強いでしょうし、そうではない方にとっても便利だと思います。

ネットも無い子供の頃に亡き祖父と、下調べもできず、テレビに映ったうる覚えの情報だけで沢山出かけました。例えば、横須賀のある山に登ろうと遠出をし、結果的に迷子になり山の場所はわからなかった。しかし迷子中に見つけた横須賀の軍港はとてもきれいでした。ある海を散策しているとき、お腹が空いてしまって不安な中で適当に入った海の家みたいな食堂、そこで食べたイカの姿焼きは、戦前生まれで93年生きた祖父の中でも「一生のうちで1番美味かった」そうです。

そういう偶然は一回の出かけ先の中では見れないかもしれないけれど、でも別にその時が最後なわけじゃない。旅というのはずっと続いています。

だから人生という旅をする仲間において、何か間違いをされたときに申し訳なく思われてしまうことは悲しいことです。それはその人が周囲のことよりも、自分がこうでなきゃダメだと自己完結してしまっているのであって、周囲が置いていかれ気まずくなってしまいます。多少イラッとすることも含めてむしろ面白い展開があるんじゃないかと周囲と未来を信じて欲しい。

誰かと旅に出る以上は別に目的地につく必要もない。俺は大切な人との時間があればそれでいい。

例えば映像表現で流行りのシネマチック。形態だけをシネマにしたところで、本質を差し置いて表層の形のみに引き寄せられる人に、時間を割いて作る側が何かを見出せるでしょうか?親友は、恋人は、アクセサリーでしょうか。もしもそうであるというのなら、俺はそこにいる必要を感じないのでお断りしたいほどです。

つまり、舞台の「袖」が楽しいのが日常だと、俺は思うんです。

アンサンブルキャスト:佐藤大福

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